『人魚の眠る家』

皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。

さて、


以下の部分を使用して臓器提供に関する意思を表示することができます(記入は自由です。)。
記入する場合は、1から3までのいずれかの番号を○で囲んでください。
1.私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します。
2.私は、心臓が停止した死後に限り、移植のために臓器を提供します。
3.私は、臓器を提供しません。
≪1又は2を選んだ方で、提供したくない臓器があれば、×をつけてください。≫
【心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球】
〔特記欄:    〕
<自筆署名>
<署名年月日>  年  月  日


運転免許証や健康保険証の裏面にあるこの欄、皆さんはどのようにしていらっしゃるでしょうか。

私はこれを手にし、目にする度、どうすべきか悩みます。

先日、東野圭吾著『人魚の眠る家』を読みました。



主人公?播磨瑞穂は小学校入学を前にした夏、プールでの事故で脳死状態となり、父の和昌と母の薫子は医師から臓器提供の意思はあるかと問われます。

二人が一晩考えた末に出した結論は、臓器提供するというものでしたが…。

ミステリーの部分はありますが、いわゆる推理小説ではありません。

脳死と臓器提供について深く考えさせられる本です。

日本では心臓死をもって死亡とするのが原則で、移植に必要な場合に限って脳死を死とします。

したがって、移植の意思が無ければ脳死判定は行われず、心停止するまで医療は続けられます。

これに対して諸外国では、脳死を人の死としているので、脳死が認められればそれ以上の医療行為は行われず、臓器提供する場合に限り延命措置が施されるそうです。

この本では、このような制度の問題や、子にアメリカで臓器提供を受けさせるために億単位の募金を集める話が書かれています。

心停止していることは素人でもわかります。

脈はない、体は動かない、もちろん呼吸もしない。

ところが、脳死の場合は、機械や管が繋がってはいますが、血液が流れているので触ってみると温かい、血色もよいかもしれない、呼吸をしているので胸の辺りは動いている。

親しい人がそういう状態のとき、もう死んだといわれて受け入れられるのか。

もう一つは倫理上の問題。

他人の臓器を移植してまで生きるべきなのか。

心臓移植をするためには、誰かの死が前提です。

自分が生きるために、他人の死を期待することにはならないか。

幸い、私の周りには臓器移植を必要とする人はおりませんし、これまで脳死が問題になった例もありませんが、脳死になるのは、ある日突然の事故による場合がほとんどです。

少なくとも、普段から、考えたり、話し合ったりする必要はあろうかと思います。

先ごろ交付された新しい運転免許証を見ながら、どのように意思表示をするか、まだ考えています。

では、今日はここまで。ごきげんよう。 fumi-ya



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